近藤教会長の退任式が行なわれました

11月29日10時より、近藤教会長の退任式が行われました。
教団本部より川本貢市東京教区長をお迎えし、別れを惜しむ会員たちが参加しました。

式次第
1.川本貢市教区長のごあいさつ
2.会員代表の感謝のことば
3.近藤教会長の説法や写真を編集したビデオ放映
4.近藤教会長の退任のあいさつ
5.花束贈呈
6.集合写真の撮影

まず、教団代表の川本教区長があいさつに立ち、近藤教会長の長年の功績を讃え、労を労った。
とりわけ、だれの言葉にも謙虚に耳を傾ける姿勢を高く評価している。それは川本教区長自身も留学から帰国した際に厳しい言葉をなげかけたが、それを当時人事課のスタッフであった近藤教会長が真摯に聞き入れてくれたエピソードを披露した。

文京教会の会員を代表し、木村容子支部長が感謝のことばを述べた。
近藤教会長が2年間一貫として説いてきたのは仏性礼拝。その実践は「認めて・ほめて・感謝する」と教えていただいて胸が震える思いであった。
思い変えすと、それは教会長が赴任した時から、いつも私たち「認めて・ほめて・感謝する」を言葉だけでなく、自ら率先して身をもって示して下さった。そのことによって、私たちの心が育ってきたと、感謝のことばを述べた。

近藤教会長のあいさつは、文京教会在任の2年間にお世話になったこと、支えてもらったことへの感謝。「会員の皆さんの仏性に対する深い信頼と敬意をもってお役をまっとうできたことは、本当に幸せなことであった」と、実感を語った。
また、この2年間伝え続けてきたことを最後に語った。仏教は悩みを解決したり、願い事をかなえてもらうために仏さまを拝むことではありません。仏教は、一言で言えば「仏になる」教え。「仏になる」とは、人格を向上し完成すること。そのためには(本尊観)と(行法観)が大切。
本尊観とは”何に帰依するか”だが、どのような状態におかれても、またどのような人と触れ合っても、常に仏さまのはからいと受けとめること。
行法観とは”どんな修行をするか”だが、自他の仏性を自覚し礼拝すること。具体的には、目の前の一人ひとりとの出会いを大切にし、「認めて・ほめて・感謝する」を実践すること。

あいさつのしめくくりとして、竹内まりやの「いのちの歌」を全員で熱唱。
次の歌詞が心に残った。

泣きたい日もある 絶望に嘆く日も
そんな時そばにして 寄り添うあなたの影

本当にだいじなものは 隠れて見えない
ささやかすぎる日々の中に かけがえのない喜びがある

出会ったこと 笑ったこと
そのすべてにありがとう
この命にありがとう