会話を大切に

今月の『佼成』会長法話のテーマは、分断と調和です。

いま世界の状況を見ると、「分断」がすごく広がっているように思います。たとえば、アメリカでは政治的な考え方が「自由を重んじる派」と「自国利益を第一とする派」に分かれ、互いを敵のように憎み嫌う人もいます。
ヨーロッパでは、「移民を受け入れる人」と、「移民を拒む人」の対立が深まっています。
ロシアのウクライナ侵攻では、戦争をめぐって「支持する国」と「非難する国」に世界が分かれました。
中東でも、イスラエルとパレスチナの争いが続き、無抵抗な人々の命が日々奪われていますが、世界が「敵味方」に分かれて対立しています。
さらに、気候変動の問題でも、「地球環境を守ろう」と訴える国と「経済発展を優先しよう」とする国が対立しています。

こうした世界の状況を目にすると、これから世界はどうなっていくのだろうかと不安になってしまいます。私たちは毎日ご供養のときに、戦争・紛争の平和的解決を祈っていますが、いっこうに解決の兆しが見えません。そうした現状に諦めや絶望を感じている人も少なくないと思いますが、皆さんはいかがでしょうか?

会長先生は、こうした現状を見ると、人として大事なことが忘れられている気がしてなりません。その大事なことの第一は、私たちはみな、あらゆる因縁のなかでお互いに生かし生かされあっているという理です(11頁5行)と述べられています。

地球は大きな星ように思いますが、広大な宇宙全体から見れば、ほんの小さな“点”にすぎません。そんな小さな点のような星の中で争いあい、殺しあっているのは実に悲しく、愚かとしか言いようがありません。
私たちが互いに傷つけあって調和を破ることは、ただ秩序と地球環境の破壊を進め、人類の自滅を招くだけ(12頁8行)と、会長先生も嘆いておられます。

私たちの身近なところでも分断が増しています。SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービスの略。「Facebook」や「X」など、インターネット上でコミュニケーションを行うサービス)では意見の違う人の悪口を言ったり、攻撃したりする言葉があふれています。
また、家庭の中での分断はないでしょうか? 家庭の延長が社会・国家・世界につながっているのです。

本来、人はみな違いがあるからこそ個々の存在価値があるのです。そして、違いがあるからこそ助けあうことで調和が生まれるのです。
たとえば、日本人は桜の花が大好きですが、世界中が桜の花だけであったらどうでしょうか。多種多様な花が存在し、調和しているからこそ、美しさが増すのではないでしょうか。
人間も同じです。自分と異なる考えや価値観をすべて否定し、一色にすれば、争いはなくなり、平和になるように思いますがそうではありません。
一色の世界は強いようで“もろさ”や“危うさ”があります。一方、多様な世界は統一性がないようで“適応力”や“寛容性”があるのです。

家庭において、夫婦や親子の考えや価値観が異なって当たり前です。その違いを争いの元とするか、調和の種とするか、そこが家庭円満になるかどうかの違いです。
夫婦喧嘩をしている間は離婚しないそうです。会話がなくなり、喧嘩もしなくなったときに離婚に至るそうです。そう考えると、喧嘩も会話の一つかもしれません。
その際、相手の言い分に対して、「そうだね」と、一言認める姿勢がポイントです。この努力を続けば、必ず会話がなりたち、お互いの理解が深まります。

開祖さまは「部屋の暗さに不満を言う前に、自分からすすんで窓を開けようではありませんか」とも呼びかけています。「お釈迦さまの教えを聞いた私たちが、すすんで人びとの心の窓を開けようではありませんか。(14頁9行)」と最後に結ばれています。

まずは、私から相手の声に耳を傾け、会話をする努力をしてみましょう。

合掌

2025年11月1日

立正佼成会文京教会
教会長  近藤雅則