美しく年を重ねたい

今月の『佼成』会長法話のテーマは、「読書」という「学び」です。
「(読書をとおして)聖賢を師として学ばなければ、自分の利益しか考えない心のいやしい人になってしまう」(11頁3行)
本を読むのが苦手な人にとっては、かなり厳しい言葉に感じられ、ドキッとするかもしれません。

また、「七歳の子どもの読書量が二十年後のイギリスの存在価値を決める」(13頁1行)というイギリスのブレア元首相の言葉も紹介されています。昨近、スマホでゲームに興じてばかりいる子どもが多く、日本の将来は大丈夫だろうかと心配しないではいられません。

そして最後に、「自己を磨く意味でも人を育てる観点からも、秋の夜長を楽しみに「読書」という「学び」を加え、生活習慣の一つにしてみてはいかがでしょうか」(14頁終3行)と結ばれ、私たちに読書をすすめてくださっています。

ところで、皆さんは本を読むのが好きですか?
また、最近読んで感動した本がありますか?
私が最近読んだ本の中でおもしろく、いま一度繰り返し読んでいるのは、「史上最強の哲学入門・東洋の哲人たち」という本です。

インドで生まれた仏教は中国を経て、日本へと伝わる。そして今日に至るまで約2500年間、多くの宗教者が命をかけて研鑽に研鑽を重ね、見事な哲学(教え)として進化を遂げてきたものだというのです。
そのおかげで、たとえ地獄のような苦しみに遭遇したとしても、あるいは今日限りのいのちと宣告されたとしても、いま起きていることを受け入れ、いまをまっすぐに生き抜いていける究極の“教え”がいま私たちの目の前に存在しているのです。

にもかかわらず、その真の価値に気づかず、お葬式のときだけ、あるいは願い事をかなえてほしいときだけしか目を向けないんですね。なんともったいないことか、なんと申し訳ないことかと思いました。
仏教に出会ったことが、こんなにもありがたく、幸運なことかを実感させてくれる一冊です。文庫本で文字が小さいために読みにくいかもしれませんが、挑戦してみてください。

生老病死は渡し難し」と言われる通り、誰もみな同じく歳をとり、老いていきます。どんなに精進し、頑張ってもそれを避けることはできません。しかし、同じ年を重ねても「美しく重ねている人」と「醜く重ねている人」がいるように思います。
美しく重ねている人とは、どことなく品がある。年を重ね、苦労を経験するほど、その経験に裏打ちされた豊かな人間性が漂っている。口から出てくる言葉は穏やかで、人を認めて・ほめて、感謝する。その人がそこにいるだけで、周囲の人も心が浄まり、ホットするような人です。
一方で、醜く年を重ねた人というのは、多くの経験をしてきたことは同じなのですが、「私はやってきた、頑張ってきた」という思いが強いためか、とても頑固で、「こうあるべき」という固定観念が強い。口から出てくる言葉は冷たく、不平不満、グチ、悪口ばかり。その人がいるだけでその場が居心地悪くなるような人です。

この違いはどこからくるのでしょうか?それは「謙虚さ」と「向上心」であり、「学び続ける姿勢」ではないかと思います。「読書」を習慣づけることは、「学び続ける姿勢」であると言えましょう。
本を選んで読むことは、あしたの自分自身を選ぶことであると言われます。
『佼成』や『躍進』をはじめ、開祖さまのご著書など、今月中に何か、一冊を選んで読んでみましょう。一冊すべてでなく、たとえ数ページでもよいと思います。
美しく年を重ねるためにも・・・

合掌

2025年10月1日
立正佼成会文京教会
教会長  近藤雅則