言い訳をしないこと

今月の『佼成』会長法話のテーマは、「人生の秋から冬への備え」です。
人生を四季にたとえられ、今年米寿を迎えられた会長先生が、「私はもうすでに冬の年代のまっただ中」と自覚され、その心境を率直に述べておられるように感じました。

ところで、皆さんは自分の人生を四季にたとえ、今どの季節だと感じていますか?
年齢だけでは分からないように思います。年をとってもはつらつと生きている方もあれば、逆に若くても老け込んだ人もいるように感じます。これはその人の幸・不幸にもかかわる大きな問題だと思います。
その違いはどこにあるのでしょうか?それを知ることで、人生は大きく変わるように思います。

開祖さまは、同じ今月の『佼成』に、次のように示してくださっています。
「熟年時代を過ぎて老年期に入ったら、どのような生き方をしたらいいのでしょうか。まず、内面の問題としては、永遠の生命というものを信じ、いつ死がやってきても悠々とそれを迎える心構えをつくっておくことが、何より大事だと思います。(中略)

そうした諦観を持っておれば、この世の生のあるうちに、人を愛し、世に奉仕し、善いことをしておきたい、という気持ちにならざるをえません。老いたる妻をいたわり、子や嫁などに理解と寛容を持って接し、孫たちを可愛がり、そして隣人とも仲良くする。さらに進んでは、悩んでいる人の相談相手になり、苦しんでいる人には救いの手を差し伸べる。(中略)
というような愛と奉仕の生活、これが老年時代の最高の生き方でありましょう。(中略)

こうした心境になるためには、何んといっても宗教-信仰が決め手となります。それも、なるべくなら若いときから信仰を持つことです。少年時代に正しい信仰に入り、いい人生の軌道に乗っておれば、ひとりでにいい青年となり、いい壮年となり、だんだんと年輪を積み重ねていい熟年となり、いい老年を迎えることができましょう。

ですから、いまあなたがどんな年齢層におられようとも「いま」が大切なのです。いま、発心することです。」(40頁下段4行~41頁下段14行)

このような人生が歩めたら最高ですね。高齢になっても人とのご縁が広がり、喜びと生きがいが増える。結果的に心身ともに健康で長生きできるでしょう。どんな高価なサプリより効果抜群だと思います。
よき老年期を迎えるには、よき壮年期をおくることが必要。よき壮年期を迎えるには、よき青年期をおくることが必要。結局は、どの年代においても今を正しく生きることに尽きるわけです。
そして、根底になるのは、生まれ変わり死に変わりしながら永遠に続いていく生命の実相を認識することが重要だということです。それが宗教(信仰すること)の目的だと思います。

仏教とは、仏さまを拝んで願いをかなえてもらうものではありません。要は頂いた人としての生命をよく発揮し、生きがいをもって気持ちよく生きる。そのあり方を教えているものです。

また、開祖さまは勤めには定年があっても、人生に定年はないと述べておられます。
私は今年満68歳を迎え、徐々に体力・気力が衰えてきました。四季にたとえると秋にあたり、そろそろ冬へ移り変わる時だと感じ始めています。

会長先生は、「人生の秋はそれまで煩わしいと感じていたことから少しずつ解放され、心に充ちるものや期することを胸に、晴れやかな気持ちで冬へと向かう時期」(12頁1行)と書かれていますが、そのような生き方できるよう努力していきたいと思います。

年齢相応に「仕事・楽しみ・奉仕」を大事にし、「今日という日は二度とない」「今日が人生最後の日だとしたら」と自分に言い聞かせながら、一日一日を丁寧に過ごしたいと願っています。
そこで肝要なのが、不都合な出来事に直面した際に言い訳をしないことです。言い訳をすると、晴れやかな気持ちにはなれませんからね。

合掌

2025年9月1日

立正佼成会文京教会
教会長  近藤雅則