ほめて・ほめて・ほめる

今月の『佼成』会長法話のテーマは、ただ「ほめる」だけです。
「ほめるだけ」で大丈夫なのかと疑問を感じつつ拝読しましたが、皆さんはいかがでしたか?
特に印象的なのは次の言葉でした。

お説教をするのが教育ではなくて、教育とは「ほめること」だ(10頁2行)

人を育てるとは仏性の自覚を促すこと、そしてほめるとは、その相手の仏性を信じること(12頁9行)

自他の仏性を信じて拝みきれるよう、自らの心が素直でないと、相手をほんとうにほめることはできない(14頁9行)

ところで、あなたは自分のことを「ほめ上手」だと思いますか?「ほめ上手」な人というのは、とても素直な方なのでしょう。

また、これまでの人生の中で、人からほめられてうれしかったという経験がありますか?きっと、どなたにも親や学校の先生などからほめられた経験があるのではないでしょうか。たった一言かもしれません。しかし、その一言が自信や勇気になり、その人の人生を支える大きな力になることもあるのです。

人の欠点を見つけるのは何の努力もいらず、誰にでもできます。逆に、人をほめるのは、それなりの努力が必要です。慈悲の心で素直にものを見るという努力です

本会の歴史を振り返ってみたとき、人を育てる(教化する)ことは、その人の間違いや足りないところを指摘し、それを改めさせることだと信じて行じてきたように思います。
その方法で、多くの方が救われてきたことは違いないのですが、これからの若い世代の人たちを育てるには、「ほめる」ことがより重要であると感じます。

そういう私自身も、人をほめることが上手ではありません。相手の良いところを見つけようと頑張れば頑張るほど、逆に嫌な面ばかりが目についてしまうことが多いのです。そしてそれを直してあげたくなるのです。自分が変わるのではなく、相手を変える努力をしているわけです。

子どものころに読んだイソップ物語に「北風と太陽」という話があります。男が着ているコートをどちらが早く脱がすことができるのかの力比べをした結果、北風の厳しさより、太陽の温もりが勝ったという話です。この話は、人を育てることにもつながっているように感じます。

あなたは、あなた自身が知らないところの、数倍のかくれた素晴らしいものを心の中にもっておる。/とにかく、自信をもって堂々とおやりなさい(12頁5行)という平澤興先生(元京都大学総長)の言葉は、仏性礼拝そのものではないでしょうか。

立正佼成会とは、このように自分でも気づいていない素晴らしいものに気づかせ、自信をもって堂々と生きていく力を与えてくれるところです

文京教会では、常々「認めて・ほめて・感謝する」を大事な修行テーマとして精進していますから、「ほめる」ことは十分実践している方も多いと思います。しかし、一か月間という期間を区切り、さらに心をこめて実践してみてください。

特に家庭の中で、家族の美点を「ほめて・ほめて・ほめる」。
わずか一か月間の実践ですが、家庭の雰囲気が見違えるように変わることでしょう。楽しみにしています。

合掌

2025年8月1日
立正佼成会文京教会
教会長  近藤雅則