今月の『佼成』会長法話のテーマは、「有り難い命をいただいて」です。
この世に命をいただいて、今生かされていることを有り難いと実感している人はどのくらいいるでしょうか?そう実感している方は、きっと充実した素晴らしい生き方をされていると思います。
反対に、日々たいしてありがたくもないとか、生まれてきたくなかったとか、そうした実感を持っている人もあるかもしれません。皆さん自身はいかがですか?
「先ず臨終の事を習うて後に他事を習うべし」
これは日蓮聖人の言葉で、「まず死を迎える準備をしっかりしてから、他のことを学ぶべきである」という意味です。人生は一度限りであることを認識し、命を本当に大事なことのために使いなさいという教えだと思います。
私の今年の誓願目標の一つは「今日を最後の日と思って大切に生き切る」です。年を重ねてきたせいかもしれません。残された人生を悔いなく精いっぱい生きたいという願いであると同時に、無駄に生きては申し訳ないという思いがあるからです。
しかし、現実は情けないものです。ボーとしている間に時はどんどん過ぎていきます。家族をはじめさまざまな人と善き出会いができたかを振り返ると、悔やむことが多々あります。
人間は、“一日でも長く生きていたい”という願望をもっています。これは生物の本能ですから自然な気持ちでしょう。しかし、それだけでは、動物と同じです。
長さも大事でしょうが、どのような生き方をするかが重要なのです。生まれてきて、自分のことだけを考え、自分のためだけに生き、「あー楽しかった!」と思って死んだのでは、一見幸福な人生のようですが、はたして人間らしい生き方と言えるのでしょうか?
今、世界では命がとても粗末にされていると感じます。それは各地で戦争が拡大しているからです。ロシアとウクライナ、イスラエルとパレスチナの戦争は終わりません。さらにイスラエルとアメリカがイランを攻撃しました。その理由は、イランが進めている核兵器開発を阻止するためとのことですが、核兵器をもっているアメリカやイスラエルがそれを言うのは理不尽だと感じます。
しかもトランプ大統領は、広島・長崎に原爆を落としたことで日本との戦争を早く終わらせることができた。今回の攻撃もイランとの戦争を早く終わらせるために正しい攻撃だったと主張しました。
こうした状況を目の当たりにすると、世界に“正義”はあるのか、“人間の心”はあるのかと不安を感じないではいられません。
近年、日本周辺でも戦争が起こるのではないかと危惧されています。そうした世界情勢の中で、日本は「武力を待たず、他国から攻撃されても反撃しない」と定めた“平和憲法”を大切にしてきました。
その精神は人類の理想であり、尊いものだと思います。しかし、それが理不尽な相手にも通用するのか、不安を感じないでもありません。日本の平和は大丈夫なのでしょうか?
そうした中で会長先生は、日本は大和(大いなる平和)の国であり、その精神を世界に発揮する気概をもつことが大切」とした上で、「家で夫婦や親子きょうだいが小競り合いをしていては、人さまに「大和」を説くことはできませんから、「斉家」(家庭を斉えること)ほど大切な平和運動はないと心得て、日々をすごしたいものです。
そのうえで、かなしい歴史を二度と刻むことがないよう、仏の教えを伝え広めて大調和の世界をめざす。人間としての有り難い命をいただき、未来のために私たちにできることは、その一点に尽きるのです。」(14頁7行)と述べておられます。
深刻な世界情勢に対して、家庭を斉えることで効果があるのか疑問に感じる人があるかもしれません。また、私たちの布教が世界の平和につながると考えにくいかもしれません。
しかし、「何もできない」ことと「何もしない」ことは違うはずです。「ハチドリの一滴」の物語を思い起こしましょう。小さなハチドリが森の火事を消そうと、くちばしで一滴ずつ水を運び続ける話です。他の動物たちは無駄なことだと笑う中、ハチドリは「私にできることをしているだけ」と答えました。
たとえ、どんなに小さな力でも、自分にできることを精いっぱいする。
その努力は効果がないように見えても決して無駄ではないはずです。
そこから何かが変わり始めると信じています。
皆さんはいかがでしょうか?
合掌
2025年7月1日
立正佼成会文京教会
教会長 近藤雅則

<中村記子芳澍校長と>