“幼少年育成も親孝行”

 今月の『佼成』会長法話のテーマは、「親孝行」とは何かです。

 「孝は百行の本」といわれ、親孝行はすべての善行の基本になるものと言われます。いろいろな人の人生を見てみると、親孝行してきた人は、なにか違うように感じます。それなりの素晴らしい人格を備え、人や社会の役に立つような立派な生き方をしている人が多いように思いますが、皆さんはいかがでしょうか?

 立正佼成会の教えを要約すると、「親孝行・先祖供養・菩薩行」の三つと教えられ、やはり最初に親孝行が挙げられているのも何か意味があるように思います。

 また、仏教では上・中・下の三段階の親孝行が教えられています。すなわち、「親に物やお金、旅行などの楽しみを与えるのが下品の孝行であり、親の言うことや願いの通りにすることが中品の孝行であり、自らの善行で得た功徳を親に転じるのが最高の孝行である」とのことです。
こうした観点から考えると、皆さんは、どれくらいの親孝行ができていると思いますか?

 我が家は経済的に苦しく、私は小学生のころから母親の苦労している姿を目にして育ったものですから、母親を早く安心させ、楽な生活をさせてあげたいと願っていました。しかし、現実は残念ながら心配ばかりかけ、苦労を増していたように思います。
ただ一つ、信仰を継承したことは、親や先祖を大切にしていることであり、親の願いに沿ったことであり、善行を積み、その功徳を回向することですから、私にとって唯一の親孝行と言えるのではないかと思っています。

 一方、会長先生はご法話の中で、怒りや不満といった自我むきだしの心をできるだけ抑えて人と争わず、仏性そのものの自分を信じて、ものごとを仏(真理)のはたらきのまま素直に受けとめることが、私たちにとっての親孝行となります(14頁3行)と説かれています。
これは、私たちの日々の仏道修行のあり方ではないでしょうか。つまり、日々の仏道実践そのものが親孝行にもなっているということです。そう考えると、私たちは日々親孝行に努めていると言えます。

 また、自分の成長とともに次代を担う『人を植える』ことも重要な責務で、それも過去から未来へとつづく命の連鎖に向けた親孝行といえると思うのです(14頁8行)と説かれています。
これには、家庭と教会の両面があると思います。まず、家庭においては、日々の家庭での信仰生活がそのまま次世代の人材育成だということです。子どもや孫に対し、何かを教えたり指導したりすることではなく、自らが謙虚になって教えを学び、それを生活の中で実践するよう努力することです。
その親の姿を子供や孫たちは見て真似るわけです。「子どもは、親の言う通りには育たない。親の行った通りに育つ」とか、「子は親の鏡」という言葉がありますが、そのことが明確に言い表されていると思います。

 教会においては、幼少年育成です。「三つ子の魂百まで」ということわざがあります。幼少年期に見たもの、聞いたもの、体験したものはその後の人生に大きな影響を残します。ですから、意味は分からなくても教会に参拝する、サンガとの縁に触れる、幼少年活動に参加することがとても大事だと思います。

 今年の「梅まつり」「つつじ祭り」のマトイ行進には子供たちも参加してくれました。「花まつり」でも稚児総代を務めてくれました。10月は、いよいよ「お会式」です。
あらゆる場面で子供たちがサンガと出会う機会をつくり、育てることが文京教会の未来をつくることです。時間はかかりますが、もっとも確実で重要な人材育成です。どうか皆さまには、そのことをよく理解していただきたいと思います。

合掌

2025年6月1日
立正佼成会文京教会
教会長  近藤雅則

  <書道家の舘入越堂先生と>