出会いが育てる-敬する心・恥じる心②

今月の『佼成』会長法話のテーマは、「出会いが育てる-敬する心・恥じる心②」ですが、もう一つの大切なキーワードは、小見出しの『仏の教えを伝える「出会い」を』ではないかと思います。

現代の社会状況を見渡すと、戦争で傷つき、逃げる場所もなく、泣き叫んでいる人たちがいます。貧しくて苦しい生活を強いられている人もいます。その一方、巨万の富を得て贅沢の限りを尽くしている人たちもいます。こんな理不尽な世界をなんとかできないものかと祈りつつ、どうすることもできず、絶望とあきらめの感情に押しつぶされてしまいそうです。

そうした状況の中で、会長先生は「そのために私たちができることといえば、一人ひとりが自身の仏性を自覚したうえで、苦しむ人に寄り添い、かかわるなかで、みんなが人を敬して和する世界をつくるよう努めることです。別言すれば、布教伝道という「出会い」が、いまはこれまで以上に求められている・・・(12頁1行)と述べられています。

この言葉で、わずかながらも希望が湧いてきた思いです。布教伝道とは、教えを広めて会員を増やすことではありません。だれもが安心して暮らせる平和な社会を築くための行動であることを認識しなければなりません。

布教伝道と聞くと、負担に感じる人もいるかもしれません。自分は人に伝えるほど教えを深く学んでいない、あるいは教えの通りに実践できていない・・・。「そんな自分が布教伝道なんて」と、感じるのかもしれません。

出会いというふれあいのなかでこそ、だれにも具わっている敬する心や恥じる心はめざめます。本会の手どりやお導きの修行にも、自他のそうした心を育む大切な意義があるのです。(14頁2行)

出会うご縁は、不思議と似た者同士と感じたことはありませんか?相手の欠点が目についた場合は、自分にも同じような一面があるかもと顧みて反省サンゲすることです。

逆に、まったく違った価値観やタイプの場合もあります。理解しがたい相手の言葉に対しは、「なんでそんなことを言うのか?」と、反発したくなります。しかし、それは私の視野を広げ、器を広げてくれているのです。その意味で、布教伝道とは、出会いを通して自分自身を知り、高めることだと言えます。

さらにもう一つ、布教伝道とは話すことばかりではありません。むしろ聞くことの方が大事です。自分は話下手で自信がないという人は安心してください。そうした人の方が、相手の話をじっくり聞いてあげることで喜ばれることも多いのです。

合掌

2024年12月1日

立正佼成会文京教会
教会長 近藤雅則