心を耕し、仏に戻る

“自己否定をやめましょう”

今月の『佼成』会長法話のテーマは、「心を耕し、仏に戻る」です。

「仏に戻る」とは、自分の仏性が見えなくなっても、それに気づけば、また仏性が輝き出し、仏に戻れるという意味だと思います。なぜなら、私たちは誰もみな、もともと仏性をもった存在だからです。

まず冒頭の、釈尊は、私たちが心に信仰の種を播き、怠ることなく耕作をつづけると、「あらゆる苦悩から解放される」・・・この堂々たるお言葉を素直に受けとめて仏道を歩めばいいのです。(10頁1行)

この言葉が強く胸に響き、元気が出ます。苦悩から解放されるためには、心を耕すことが、他のどんな解決策よりも重要なのです。ただ、ひたすらに自己の心を日々耕し続けること。それが私たちの修行精進であり、幸福な人生につながる確かな道だということです。

皆さんの中には、一生懸命精進していても、なかなか仏性が掘り起こされてこないと感じている人はいませんか?すべての人に仏性ありと聞かされても、自分の仏性の存在なんて信じられない。口から出てくるものは、いつも愚痴や不満、悪口や言い訳ばかりで、自分を情けなく、恥ずかしく感じることはないでしょうか?

では、どうすればよいのか?会長先生は、慈悲心を起こしたり、それを実践したりするとき、そのたびごとに私たちの仏性は掘り起こされます。(13頁4行)と示されています。私たちが他人に対して慈悲(思いやり)で接しているのは、相手のためのようですが、それが自分の慈悲心を起こし、仏性を掘り起こすことにつながっているというのです。そのように受けとめると、これからも元気に精進を続けていこうという希望や勇気が湧いてくるように感じますがいかがでしょうか。

仏性の自覚がなかなかもてないと感じる人の場合、何か原因があるかもしれません。その一つは、自己否定卑屈感だと私は思います。日本人は謙虚さを重んじるためか、自己否定や卑屈感がとても強いのではないでしょうか。

たとえば、人から「素晴らしいですね!」とほめられても、「イエイエ、それほどではありません」とか「私より、あの人の方がもっと素晴らしいですから・・・」と、否定してしまう。 こんな場合、「ありがとうございます」とか、「お陰さまで」と素直に受けとめてみましょう。それが、仏性自覚に至る近道のように思います。

合掌

2024年10月1日

立正佼成会文京教会
教会長 近藤雅則