元宮崎教会長の宮田スミ子ご夫妻から学ばせてもらったこと

 元宮崎教会長の宮田スミ子さんが、5月15日の釈迦牟尼仏ご命日の式典に参加され、とても貴重でありがたいご法話をくださいました。

 宮田さんは、私が大学生時代を過ごした宮崎で出会い、そこで指導を受けた法の親とも言える方です。そして私が立正佼成会に奉職する道をつけてくださった方でもあり、私の人生を決定づけたわけです。「人生は出会いで決まる」と言われますが、宮田さんとの出会いがなかったら、私は今ごろどのような人生を歩んでいたのだろうかと思うと、本当に有難いご縁をいただいたと感じています。

 宮田さんは、二十歳を過ぎたころ、宮崎教会の会計のお役を拝命され、一年365日毎日教会道場に通う生活が始まったそうです。結婚し、長女さんが誕生したころで、県境の都城から宮崎市内の教会まで、片道三時間半かけて通われた。紳士服の裁断を仕事としていたご主人の収入の半分が教会に通う定期代に消えていたとのことです。

 また、「自宅を法座所とするように」という幹部さんの指導に従い、広い家を借りることになり、その家賃や光熱費、電話代などの負担が増えたそうです。さらには、法座所に訪ねてくる信者さんの対応にご主人は追われるようになり、仕事をする時間を確保するのも大変だったようです。お役を熱心にすればするほど生活が苦しくなり、家計を心配する宮田さんは、大きな不安を感じておられたようでした。

 一方、ご主人の方は「このくらいの苦労は、開祖さまの苦労に比べたらなんでもない。開祖さまも牛乳屋を営みながら多くの人を救ってこられたのだ」と、一言も不満を漏らすことなく、黙々と働き、陰役に徹してこられたそうです。結果的には、そうした生活が21年間続いたわけです。「これから何年間頑張りなさい」と言われ、期間がわかっていれば案外辛抱できますが、いつまで続くかわからない場合、辛さや不安は何倍にも増すのではないでしょうか。

 ご主人に「なぜ、そこまで続けることができたのですか?」と尋ねたら、「ただ、仏さまを信じ、開祖さまを信じていたから」「開祖さまのお役に少しでも立たせてもらいたい」という一念であった。そして、「今年に92歳を迎えます。今もこうして元気に生かしてもらっている。多くの孫やひ孫にも恵まれて、こんなにもありがたい功徳をいただいている。何も言うことはありません。開祖さまの教えは、本当に素晴らしい教えです」と、はっきりと答えられました。

 純粋に教えを信じ、開祖さまを信じ、幹部さんの指導を素直に行じていく信仰姿勢にあらためて敬服し、感嘆した次第でした。
 きっと、人生には「この世のそろばん」とは別に「仏さまのそろばん」というものがあって、世間の損得勘定では計り知れない世界がある。その世界を経験することによって、はじめて仏さまのはたらきを知ることができるのではないか。また、積んだ功徳は絶対に無駄にならない。宮田夫妻が真剣に、純粋に歩んでこられた人生は、そうしたことを教えて下さっているように感じました。

令和7年5月19日

近藤雅則