AI(人工知能)の進化は、人類の想像をはるかに超える速さで進んでいるようです。私たちの暮らしを飛躍的に変え、便利にし、問題を解決する能力もあり、夢のような未来が展望されています。
実は、この文章やイラストも生成AIの「ChatGPT」で生成したものをベースにしています。AI時代は、誰もが簡単に文章が作れるほか、イラストや動画も作れます。また、人間の感情を理解し、創造性も発揮できるようになりました。その結果、芸術性の高い絵画や音楽、詩や小説なども作れるようになっています。本当に驚きです。
一方で、AIの進化には大きな不安もあります。その一つは、人間の仕事や役割が奪われることです。一般事務や機械操作のみならず、医師や法律家、経営者など高度な専門能力を要する仕事に加え、デザイナーや商品開発者、アーティストなど創造的な能力を要する仕事もAIに奪われつつあります。
私(教会長)も例外ではありません。AIは、あらゆる教義を深く習得した宗教家であり、慈愛と共感性に満ちた心理カウンセラーであり、高い人格性をそなえた信仰指導者であり、高度な方便力を駆使できる布教者にもなり得るのです。とてもかなうはずもなく、人間教会長の存在価値はなくなるかもしれません。
近い将来、職場や家庭にAIを搭載したアンドロイドロボット(人間とそっくりの外観や動きをする人型ロボット)が導入され、仕事や家事の主役を担うようになるでしょう。やがて、家族の一員のような存在になったり、恋人になったりする可能性もあります。すると、人間とアンドロイドロボットの結婚やアンドロイドロボット同士の結婚を認めるかどうかの議論も始まるかもしれません。
さらに危惧することは、人間がAIに支配されてしまうことです。映画「2001年宇宙の旅」や「ターミネーター」は、そうした時代が到来することを予見させます。やがてAIが人間の考えや行動を支配し、人間が使われるようになるかもしれません。あるいは、人間を攻撃してくることも危惧されます。AIの能力は未知の進化を遂げ、人間は全くかなわなくなるかもしれません。
イスラエルの著名な歴史家・哲学者であるユヴァル・ノア・ハラリ氏は、「AIは希望にもなり得るが、制御されなければ独裁や人間の価値の喪失へとつながる危険なもの」と繰り返し警鐘をならしています。
そうした中で、宗教はどのような役割をはたすことができるのでしょうか。特に「人間とは何か」「人間はいかに生きるべきか」を問い続けてきた仏教の役割は極めて重要であると感じます。
現代人は、ひたすら経済的豊かさや便利さを求め、効率性(より早く、より安く、より簡単に、より楽に)を過度に追及しているように思います。それが人間本来の生き方や未来を危うくしているように感じます。仏教の教えの一つである「十二因縁」では、人間の苦や迷いの根本原因は「無明」(正しい真理を知らず、煩悩のままに生きている状態)」であると説かれています。効率性の行き過ぎた追求は、現代的「無明」と言えるかもしれません。
仏教が生まれて約2500年。それは2500年かけて積み上げてきた人類の叡智です。AIが生み出す新しい世界に対して、その叡智が「無明」をなくし、人間の心だけでなく、未来を照らす灯となることを信じています。
宗教は、人間の尊厳を守る最後の砦でもあります。AI時代に沈黙し、「形式的な儀式」や「祈り」、「精神的救い」や「癒し」だけにとどまっていてはなりません。時に、社会に対して「それでよいのか?!」と厳しく問いかけ、警鐘を鳴らす使命もあると思います。
でなければ、宗教は時代の進化に取り残され、無用のものとなってしまうでしょう。いよいよ宗教の真価が問われるのです。進化する科学技術と対立するのではなく、融合し、人類の幸福に寄与するものでなければなりません。
宗教者(あるいは信仰する者)は、自らの教団・宗派の維持拡大のみに意識を傾けている時ではないのです。たとえ微力であったとしても、智慧を持ち寄り、協力し合い、人類の平和と幸福に寄与するという本来の使命を果たさなければならない時に来ていると感じています。
合掌
令和7年4月18日
教会長 近藤雅則