今月の『佼成』会長法話のテーマは、「信じて仰ぐ、ということ」です。
「信じて仰ぐ」とは、まさに読んで字のごとく「信仰」ですね。そこで第一のポイントは、「信仰するとは」について考えてみましょう。
開祖さまは、「真実の人間の生き方を教えるのが信仰だ」とも述べています。(中略)その基本中の基本が、まさに「自分の命の尊さと、人間として生まれてきた有り難さを知ること」(11頁終2行)という一節があります。
この「自分の命の尊さと、人間として生まれてきた有り難さを知ること」という一節を言葉として理解することは難しくありません。しかし、心底理解する、実感することは簡単ではないように思いますが、皆さんはどう思いますか?
私もいろいろ考えてみました。「私はこの宇宙の中で唯一無二の貴重な存在である」とか、「仏性がある」とか、「家族や身近な人にとっては、かけがえのない大事な存在である」とか、「無数の先祖の命があって、今の自分の命がある」とか、「私もきっと誰かの役にたっているにちがいない」とか・・・・・・。
しかし、どんなに考えても心底理解する、実感することはできませんでした。
ただ、自分が、今、ここに、生かされて存在していること自体が不思議だと感じました。そして、この考えてもわからない(=不思議だ)という受けとめ方こそが大事ではないかと思いました。そこに人知を超えた神仏のはからい、慈悲、大きな力を感じ、人知を超えてわからないからこそ、「尊い」、「ありがたい」と受けとめる。これが「信じて仰ぐ」ということかもしれません。
第二のポイントは、「布教とは」についてです。現代社会では、宗教(教団)に対する世間の見方はとても厳しい面があります。その影響で、職場や地域はもちろん、家庭でも信仰の話はしにくく、布教が難しい時代だと言えましょう。
立正佼成会の会員である私たちは、「お導き」(入会を勧める)、「手どり」(会員のお世話や信仰上のケアをする)が布教だと認識しています。
しかし、会長先生の次の言葉に「布教の真の意味やあり方」が、述べてあるように思いました。
いま大切なのは小手先の手立てではなくて、私たちが仏道の根本である徹底した慈悲と思いやりの心で人さまとふれあい、いざというときに心の支えになれる一人ひとりになることです。
そこに、なんともいえない安心感があれば、もともと信仰心を宿しているだれもが、おのずと「真実の生き方」に導かれていくのです(14頁9行)
もちろん、「お導き」や「手どり」に歩くことは、宗教にとって大事な修行です。サンガの絆を深める上でも重要なことであり、大いに進めなければなりません。
しかし、「仏道の根本である徹底した慈悲と思いやりの心で人さまとふれあい、いざというときに心の支えになれる一人ひとりになること」という視点を忘れてはならないというのです。
つまり、布教とは日頃の生活のあり方、出会いのあり方そのものではないでしょうか。
合掌
2025年4月1日
立正佼成会文京教会
教会長 近藤雅則
