令和7年が明けました。昨年は正月早々能登地方の地震が発生したり、飛行機事故が起きたりと波乱の幕開けでした。今年はどんな一年になるか、そうしたことも2月2日に予定されている節分会の中で学んでいきましょう。さて、私はここ数年、元日の過ごし方が少し変わりました。それは、次の小林正観さんの言葉に出会ってからです。
「私の体を通してからにしてください」
私が六十年ほど生きてきた中で人生最大のショックだったことばというのは、この天皇のことばです。私はこのことばを聞いて猛烈なショックを受けました。人間の魂はここまで崇高で美しくなれるものなのか、と絶句しました。
一月一日、早く起きた天皇は東西南北、四方の空に向ってこう言うというのです。
「もし今年、日本に災いが降ってくるのであれば、まず私の体を通してからにしてください」
これを、四方拝というそうです。
普通では考えられない話です。
病気や事故、不運や災難というものを逃れたい。自分だけはそういうものに見舞われたくないと思うのが普通です。当然のことです。しかし、世の中にはこんなことを考えている方がいるのだ、ということが私には大いなる衝撃でした。
(中略)
天皇のこのことばを知って以来、病身の我が身には少しずつ変化が起きてきました。それは病気を忌むべきものと捉えるのではなく、「病気でもいい、しかも病状が進行し、体が悪くなってもいいかな」という感情です。
私の周りには、数百人のとても素敵な友人がいます。その友人一人ひとりのために、私がもし不運や不幸の一部を少しでも担うことができるのであれば、その友人たちの少しの不幸を我が身に集めてこういう病気になった、と思ってみたならば、「それでいいかな」と、不思議に自分の心が楽になり、救われるものがあったのです。
『心に響いた珠玉のことば』 小林正観 著
”四方拝”というものを、私はこの本ではじめて知りました。この祈りがどれほどの効果があるのかはわかりませんが、何か背筋がビシッと伸びるような感動した記憶があります。「日本中の災いを一人で引き受けたら、とてもじゃないが身が持たないだろうな」と、心配もしました。
また、自分の体調がすぐれないとき、もしかしたら、これは誰かの不調を引き受けているのかもしれない。そう受けとめると、不調も尊く意義あるものに感じます。
それ以来、私も微力ではありますが、文京教会の皆さんのこと、そして文京区で暮らしている人たちのことを思い、「もし今年、災いが降ってくるのであれば、まず私の体を通してからにしてください」と元日に祈らせていただくようになりました。
合掌
2025年1月15日
立正佼成会文京教会
教会長 近藤雅則