“私自身がオアシスに”
今月の『佼成』会長法話のテーマは、「一人ひとりが『オアシス』に」です。まずは、新年を迎えお慶び申し上げます。本年が皆さんにとって良き年でありますようお祈り申し上げます。
「一年の計は元旦にあり」と言われますので、年始に一年間の計画を立て、心構えをつくることはとても大事なことです。なんとなく漠然とスタートすると、漠然とした一年になりかねません。また、一年を有意義にするには、一日一日を大切にすることに尽きるわけですから、「一日の計は朝にあり」も大事なのです。
本会の創立百周年に向けて、私は以前「人を植える」ことこそ大事にしたいとお話ししました。それは、(中略)自分の幸せだけでなく、家族や地域の人はもちろん、遠い世界の人びとをも幸せにしたい、救われてほしいと願って力を尽くす、思いやりの心をもった人-菩薩を育てるということです。(12頁終4行)とあります。
「人を植える・人材育成」と聞くと、教会や青年部の活動を担う人材の育成を考えがちですが、そうではありません。教会の枠にとどまらず、「真の菩薩づくり」「真の人間づくり」であり、ここに会長先生が願われている「人づくり」の真意が述べられてあると思います。
人を憩わせ安心を与える、いわば「オアシス」のような心を宿す菩薩がいるところは、そこがオアシス(13頁3行)と続いています。
会長先生は、以前にも「教会や支部の道場は、明るく、優しく、温かい心をもった人が大勢いて、誰もが身も心も休まり、来てよかったと思ってもらえるオアシスであってほしい」と述べておられました。
オアシスのような心をもった人がサンガの中に増えれば、サンガがオアシスになる。地域に増えれば、地域がオアシスになる。国の中に増えれば、国がオアシスになる。世界に満ちれば、世界がオアシスになるわけですが、私自身がオアシスの心をもつ人になることが出発点であり、そこが大切なのだと思います。
最近の世界情勢は戦争や紛争が続き、終結の兆しすら見えてきません。老人、子ども、女性など、弱い立場の人が苦しみ続けています。
日本国内では、闇バイトで犯罪に手を出す若者が増えています。原因は経済的な貧困だけでなく、精神的な貧しさも一因だと感じます。ネットでは、他人の悪口を言いたい放題。テレビでも人を非難・攻撃する風潮が蔓延しています。学校での“いじめ”が社会全体で起きているような感じです。こうした状況はオアシスとは反対で、暗くて、意地悪で、冷たい人が増えているからかもしれません。皆さんはどう思いますか。
先日、大きなリュックをもってバスに乗ったところ、それが人にあたり迷惑をかけてしまいました。その瞬間、素直に“すみません”という気持ちになれきれず、“混んでいるから仕方ないじゃないか”という気持ちだったのです。「私自身がオアシスの心をもつ人になることが出発点」と言いながら、愚かな自分の姿を見せられた思いで、恥ずかしく、情けない限りでした。合掌
2025年1月1日
立正佼成会文京教会
教会長 近藤雅則
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